コンピュータサイエンスは無益

言っていることは正しいし、こういう意見の人はけっこう多いけど、まとまった文章がないから助かる。

記事を消してしまう可能性があるので、引用しておく。

コンピューターサイエンスの学習が、駆け出しエンジニアの職業エンジニアになる過程で邪魔となるという話をいたします。

一人前のエンジニアになるのを阻害する、または遅らせる、と。

職業として成立するのは、お金を払ってでも他人に頼みたい面倒ごとがあるからです。

プログラミングというのは、非常に面倒なので、他人にお金を払ってでもやって欲しい人が世の中に大量にいます。(ですから職業として成立しやすいわけです)

誰もやりたくないことを引き受ける。これが職業エンジニアの仕事なのです。

顧客は、お金を払って「自分ではやりたくはない汚れ仕事」を発注する、という発想らしい。

プロサッカー選手でもないのにプロサッカー選手と同じく、サッカーをプレイするのは、それが楽しい行為だからです。これと同じことがコンピューターサイエンスにもいえます。

この比喩はたぶん、

という対比。前提に、

  • 彼/彼女がやっている仕事は、趣味のサッカーとの接点はない。
  • よって、趣味のサッカーは娯楽にはなっても、仕事に益はない。

という推論があるようだ。

続いて、想定される反論への想定される再反論がある。

より優秀なエンジニアになるために必要と聞いたので取り組んでいる。[という反論に対して]

もう一度職業の原則に立ち返っていただきたいのです。コンピューターサイエンスの学習にお金を払ってくれる人はいるでしょうか?残念ながらいないのです。何度でも繰り返しますが、職業エンジニアになるためには、他人がやりたくない面倒事を対価を受け取って代理遂行することが絶対に必要なのです。

やはり、

  • 自分たちエンジニアは、「自分ではやりたくはない汚れ仕事」を押し付けられる側なんだ。

という認識が強い。学習にお金を払うクライアントはいないのはそのとおり。学習の結果得たものにはお金を払う、って発想はないみたいだ。

[自発的学習は]おそらくは他人からの承認を求めているからです。学習という行為自体にその危険が常につきまとっています。

これはそのとおりだと思う、ホントに。だけど、例えば上司が、学習好きの部下に「お前がやっていることは承認欲求に過ぎない」とか言う場面を想像すると胸が痛む。

コンピューターサイエンスの基礎知識が、クライアントの求めるエンジニアリングの下地になるという反論もありえるでしょう。しかし、下地にはならないことが既によく知られています。

これは、「下地にはならない」じゃなくて、「クライアントの求めるエンジニアリング」がコンピュータサイエンスを必要としないレベルのことがある、って話だな。この方は、クライアントの求めることは「自分ではやりたくはない汚れ仕事」の代行だと確信しているようだ。おそらく、そういう「自分ではやりたくはない汚れ仕事」の経験しかないのだろう。「自分ではやりたくはない汚れ仕事」の遂行=プロの仕事 だという認識なんだろう。

商品一覧を綺麗に並べて、それをユーザーがクリックしたら Shopify の API を叩き、決済結果をユーザーにメールで通知することなのです。それにはコンピューターサイエンスは必要ありません。残念ながらあなたはこの手の仕事をあと五年はすることになります。それでもコンピューターサイエンスが下地に必要そうでしょうか?ピザ生地を作るのに、農学の知識は必要なさそうですが。

なるほど。やっぱり「知識もスキルも要らない仕事に知識もスキルも要らない」という“まっとうな話”。現実の仕事のなかで、「自分ではやりたくはない汚れ仕事」で「知識もスキルも要らない仕事」が相当量あることはたぶん事実だろう。その分野に人材が必要なのも当然。そういう人材にはコンピュータサイエンスや学習の習慣は要らないのもホントの話。何も間違っているところは見つからない。

ただ、分量が少ないのかもしれないが、「自分ではやりたくはない汚れ仕事」で「知識もスキルも要らない仕事」ではない仕事があるのも事実。学習者の動機は「あなたにしか出来ないから頼みたい」という意味での仕事をしたいからではないのかな? 「自分ではやりたくはない」じゃなくて、「自分では到底できっこない」からクライアントが依頼するような。

[追記 date="翌日"]
記事は削除されてない。冒頭にリンクが追加されたようだ。

このリンクは何の意図があるのだろう? 本文に変更追加はないようだが‥‥
[/追記]