蒙昧・鈍感の幸福と理知・鋭敏の憂鬱

細かい差異に気づかず、ボンヤリとなんとなくテキトーに同一視して、同一視していることを意識せずにいられれば、余計な気を使わず幸せと言える。面倒さや負担を感じることもない。

逆に、細かい差異に気付き、それを意識し、分析的に取り扱おうとすると、気にすること、区別すべきこと、記憶すべきこと、調べるべきこと、考えるべきことが増えて、負担が増えて辛く感じるかも知れない。だが、それは仕方ない。

例: だんだん憂鬱になる。

  1. ベクトル=ベクトル空間の要素だけで済んでいる。
  2. ベクトルとコベクトル=標準双対空間の要素だけで済んでいる。
  3. ポインターとフォームを知ると、ベクトルとポインターとコベクトルとコポインターが出てくる。
  4. 双対ペアを知ると、フォームとコベクトル、あるいはフォームとコポインターを同一視できなくなる。
  5. ベクトルとコベクトルとポインターとコポインターとフォームとコフォームを区別する必要性を感じる。面倒で憂鬱だ。
  6. 相反変換 recipV:V→¬V と、ゲルファント変換 gelfV→(¬V)* まで含めて理解する。flopV:V→V* もある。
  7. 相反変換、ゲルファント変換、フロップが、圏論的オペレータ〈コンビネータ〉だと知る。相反変換だけは射の前送りとなる。